キャッシングの歴史

新生銀行カードローン・レイクの歴史

海辺で携帯を操作する女性

AKB48のイメージキャラクター起用などもあり、ますます認知度を高めている新生銀行カードローン・レイク。ここではそのレイクの歴史をまとめます。主に1960年代の創業時が中心ですが、レイクだけでなく黎明期の消費者金融の歴史の資料として、参考にしていただけたら幸いです。

(参考資料…『理解されないビジネスモデル 消費者金融』(藤沢久美・片野佐保・真水美佳・川島直子/時事通信出版局/2008年)P.14~17)

レイク創業者・浜田武雄氏の生い立ち

新生銀行カードローン・レイクの前身「ほのぼのレイク」の創業者は「浜田武雄氏」です。正確にはほのぼのレイクの前にさらに前身の「パーソナルリース」という会社があり、それを創業したのが浜田武雄氏です。

浜田氏が貸金業に進んだきっかけは、両親が石炭の事業で失敗して、多額の借金を背負ったこと。借金に苦しむ両親の姿を見ながら「自分は、人を活かす金貸しになりたい」と思ったことです。

その資本金を作るため、浜田氏は自衛隊に入隊。強靭な意志で「収入のすべてを貯金」し、4年間で300万円の軍資金を蓄えます(1960年前後の300万円なので、現代でいう600万円くらいの価値はあるでしょう)。

25才で、大阪に「パーソナルリース」を設立

こうして、浜田武雄氏は25才でレイクの前身「株式会社パーソナルリース」を立ち上げます。現代のように、誰でも手軽に「1円起業」ができる時代ではなかったので、25才での起業というのは、現代よりもすごいことだと考えてください。

そして、浜田氏は「サラリーマンに対して融資する」という基本方針を決めます。これは当時としては画期的なこと。まだ消費者金融(個人向け融資)というジャンルが確立していない時代なので、「お金を借りる方法=銀行のみ」という状態でした。

しかし、その銀行には「個人に対して融資する」という発想自体がない。だから、「サラリーマンがお金を借りるのも、分割払いをするのも、まったくできない」「そもそも、考えたこともない」という時代だったんですね。

そんな中、浜田氏はこう考えます。

「今、日本で一番活力があるのはサラリーマンではないか。その彼らがお金を借りることができないというのは、おかしい。自分は、サラリーマンに活力を持たせるために、貸金業をやる」と。

このように、「誰のため、何のため」という理由をはっきり考えた結果、レイクは「サラリーマンにキャッシングのサービスを提供する」という事業内容を決めたのです。現在では「サラ金=サラリーマン金融」というと悪いイメージしかありませんが、当初の理念は、非常に素晴らしいものだったんですね。

レイク(パーソナルリース)をはじめ、アコム・プロミスなどが同時期に「サラリーマンのお金がガンガン回るようにした」からこそ、日本の高度経済成長があった…ともいえます。(少なくとも、一端は担っていたと言っていいでしょう)

大阪の歓楽街・曽根崎新地で「マスコミ関係者」に融資

パーソナルリース(以下、わかりやすく「レイク」)が開業した場所は、大阪の歓楽街・曽根崎新地。浜田氏がここで開業したのには理由があります。まとめると、

  • マスコミが集まる場所
  • 夜の接待が多く、飲食費の立て替えが多い
  • そのため、資金需要が豊富にある

ということで「お客さんが多い」場所だったんですね。しかし、浜田氏が目をつけたのはこれだけではありません。それは「マスコミは関係者は、副業で記事を書けば、臨時収入が得られる」ということ。実は当時の貸金業者にとって「借手が日銭の入る仕事をしているかどうか」というのは重要だったのです。

当時は上限金利が「109.5%」という、今では考えられないほどの高金利でした。(今は上限金利20%なので、当時は今の5倍)

これだけ高金利だと「1ヶ月借りているだけで、利息がバンバン膨らむ」わけですね。だから借り手が潰れないためにも「数週間程度で完済してもらう」必要があったのです。現代のように「何年も連続で借りる」というのは、あり得なかったんですね。

「1ヶ月」でも長いくらいだったのです。だから「日銭が入る職業の人」を、特に優遇したわけですね。

これは、岩手・盛岡発の消費者金融「ユニワード」も、創業者の響庭氏が「サラリーマンには融資するな」と言っていたことでわかります。「自営業の方が日銭が入るから、返済しやすい」ということですね。レイクの浜田氏は「サラリーマンだけど、自営業に近い、マスコミ関係者」を、メインターゲットにしたという点では、ユニワードのスタートと、似ている部分があります。

真っ赤に塗ったバイクで「現金の救急車」を始める

レイクは当時から「スピード融資」を売りにしており、真っ赤に塗った90ccのバイクで、「現金の救急車」と称して大阪を走り回っていました。また「現金出前します」というDM(ダイレクトメール)も配布し、どんどん知名度を高めていきました。

ほのぼのレイクになった後は「緑」がコーポーレートカラーになっていましたが、当時は「赤のバイク」だったんですね。業種自体が、日本人にとって慣れないサービスだったので、とにかく目立って覚えてもらう…ということを重視したのでしょう。

「明日の米を買う金は、絶対に貸すな」

これは浜田武雄氏の、借金に対する名言・格言とも言えるものですが、これが当時から浜田氏の口癖だったそうです。要は「生活費のための借金はダメだ」ということです。

これは引っかかる人も多いでしょう。「生活に困った人に対して、お金を貸すのが庶民金融の正しい姿では?」と。しかし、実は違うんですね。

というのは「今の収入で生活できない」という時点で、

  • 収入が少ない
  • 支出が多い

…という、どちらかの問題があるからです(あるいは両方)。で、どちらにしても、これは「根本的な問題」です。「1回お金を借りたからといって、どうにかなるものではない」んですね。もちろん、どうにかなる人もいるのですが、現実にはそのまま落ちていくことが多いのです。

浜田氏は借金で苦しむ両親を見ながら育ったし、自衛隊時代、休み時間にひたすら経済・金融の研究をしていたので、それがよくわかっていたんですね。

一番いけないキャッシング理由は「生活費の補填」

「生活費のためにお金を借りてはいけない」…というのは、キャッシングや消費者金融の専門家の間では、半ば常識になっています。このレイクの歴史の参考とした本『理解されないビジネスモデル 消費者金融』のP.157では前・金融庁信用制度参事官だった、大森泰人氏が下のように語られています。(引用開始)

一番いけない理由は生活費の補填のために借りること。そういう人は、借りずにすむところまで、生活水準を下げる努力をすべきで…(引用終わり)

…というように、国の公式見解を語る立場である大森参事官(当時)も、こう語られているくらいなんですね。レイクの浜田氏も創業時からそれを知っていたので「生活費のための融資は絶対にするな」ということを、強く言われていたわけです。

レイクの審査が同業他社よりも早かった理由

レイクの審査は、当時から同業他社よりも早いとして、利用者に評判でした。そのスピード審査を実現した工夫の1つに申込書をお客さんが書いている間に、バックオフィスで同時に審査するというものがあります。「申込書の記入が終わる頃には、審査が終わっていた」ということです。

つまり、推定「10分程度の審査時間」ということですね。今のレイクが「最短30分」なので、今よりも早いか互角くらいです。

「審査書類を書いてもらわないと、審査できないんじゃない?」と思うかも知れませんが、多分、

  • 保険証・運転免許証などの確認
  • 職場への在籍確認
  • 事前に書いて持参してもらった、簡単な審査書類

などで、審査していたのではないかと思われます。もちろんその分キャッシング金額は少額で、1回の融資金額は平均で1万5000円だったそうです。現代の価値に直しても、せいぜい5万円というところでしょう。そのくらいの少額融資だったので、審査が簡単でもよかったんですね。

今でこそ、サラリーマン・OL・公務員はもちろん、フリーター・アルバイト・パートでも即日キャッシングが当たり前になっていますが、当時これは画期的なことでした。1960年代はじめ、サラリーマンに対して短期・小口の融資を、無担保・無保証という条件でしてくれる金融機関は、どこもなかったからです。

お金を借りるだけでも難しかったのに、それを「その場で審査&融資」してくれる―。レイクのキャッシングが大阪のサラリーマンの間で支持された理由も、よくわかるでしょう。


以上、新生銀行カードローン・レイクの前身(原点)である「パーソナルリース」の創業時の歴史についてまとめました。現在は銀行カードローンとなったレイクが、消費者金融の黎明期にどのようにユーザーのニーズに応えて、日本の経済成長に貢献していったか、それが伝われば幸いです。

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