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キャッシングの歴史

借金史 ~日本のキャッシング・カードローン・クレジットカード・貸金業の歴史 まとめ~

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日本のカードローン・キャッシング・クレジットカードなどの貸金業がどのように進化したのか「借金の歴史」をまとめます。「消費者金融」とか「キャッシング」という産業にマイナスのイメージを持つ人に、ぜひ読んでいただけたらと思います。

「金貸し」は、風俗業と並んで「人類最古の職業の一つ」と言われ、人間の生活と常に共にあったものです。「貨幣は鋳造された自由である」(ドストエフスキー『死の家の記録』)という名言がありますが、お金を借りるというのは「自由の前借り」だからです。

犬が自由に散歩に行きたがるように、人間もいつでも「自由が欲しい」わけです。場合によっては「前借り」もしたいわけです。

それを「愚か」と笑ってはいけません。国も会社も個人も、そうやって「自由を手にする」ために―。

  • 大金を借り
  • 一発勝負をしかけ
  • 成功したら、本当に「莫大な自由」を手に入れる

…というわけです。(失敗して「莫大な不自由」を背負わされる人・組織もたくさん存在しますが…)

キャッシングなどの貸金業が「人類最古の職業の一つ」というのは、そういうことです。動物だったら必ず求める「自由」が、鋳造されたものが「お金」だからですね。それを売買する仕事だから、世界最古なのです。(風俗は「遺伝子保存の欲求を売買」しているわけです)

そうして「貸金業が大昔から存在した理由」を知った上で、これから書く歴史を読んでいっていただけたらと思います。興味のあるところだけ読んでいただけるよう、時代別に分けてあります。最初に、簡単にまとめます。

日本の貸金業者の歴史 ~簡単なまとめ~

  • 弥生時代の「稲貸し」から始まった
  • 鎌倉時代に「お金の融資」が始まった
  • 江戸時代には、現代に近い形になっていた
  • 消費者金融は60年頃から始まり、70年代から今とほぼ同じ形に

以下、各時代に分けて詳しく書きます。

目次 ~各時代の貸金・キャッシングの歴史

全体の流れ

  • 1.弥生時代…神社から「種籾を借りて、収穫したら利息をつけて返す」文化があった
  • 2.飛鳥時代…「国からの融資」に対して、利息をつけて返済していた(しかし、お金ではなく米の貸し借り)
  • 3.奈良時代…「出挙」が広まる。稲貸だが仕組みは今の「融資」に近い。公出挙・私出挙があった
  • 4.平安時代…「担保」が定着する。返済できない人間から担保の土地を回収するなどして「資産家」が生まれ始める
  • 5.鎌倉時代…お金での融資「利銭出挙」が始まる
  • 6.室町時代…「利銭出挙」が主流になり、稲貸は消滅する
  • 7.戦国時代…貸金業は消滅する(日本全体が無法地帯だったので、契約の意味がない)
  • 8.安土桃山時代…貸金業が徐々に復活し始める
  • 9.江戸時代…両替屋を中心に、現代に近い貸金業が定着。幕府による利息制限法なども出る
  • 10.明治時代…民法や刑法よりも先に「利息制限法」が成立する(それだけ重要だった)
  • 11.大正時代…明治時代よりも質屋が減少
  • 12.昭和(戦後)…終戦直後は質屋が隆盛。高度成長で下火になり「勤め人信用貸し」(後のサラ金)が主流になる
  • 13.昭和(バブル期)…70年代から「信用情報機関」が登場。77年から「サラ金問題」でバッシングを受ける
  • 14.平成(90~2000年代)…93年に無人契約機が登場。利用者が爆発的に増える

2.弥生時代

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弥生時代の水田イメージ。「古墳」と書いてあるが、棚田にしか見えないので、採用。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.36(保護期間満了)

2-1.キャッシングは「米貸し」から始まった

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利息の稲が保管された建物のイメージ。実際には高床式だったはず。あと、これは実物ではなく埴輪。埴輪はムンクの叫びみたいな像以外にも、いろいろある。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.45(保護期間満了)


  • キャッシングの歴史は「農耕と同時」に始まりました。「米貸し」ですが、その仕組みは―。

    • 農民に「種籾」を貸す
    • 農民がその種籾で「今年の田植え」をする
    • 収穫できたら、利息(利稲)をつけて返す

    …というものです。つまり、現代のキャッシングのように「何にでも使える」ものを貸したわけではありません。あくまで「今年の稲作をするための、種」を融資するだけなんですね。現代でいうなら―。

    • 目的別ローン…利用用途がはっきりしている
    • 事業者ローン…ビジネス用である
    • セーフティーネット貸付…低所得層の生活を支援する

    …という3つの融資に似ています。

    2-2.貧民でなくても、多くの人が「米貸し」を利用していた

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    出雲大社本殿。ここまで立派でなくても、このような「穂倉=祠」に初穂を皆で納めた。それを「元本」にして「利息」が発生した。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.18(保護期間満了)


  • 上では「貧民の支援」ということを一部書きましたが、米貸しを利用していたのは、「全員貧民」というわけではありません。「まったくお金(お米)に困っていない人」も、米貸しを利用していたのです。

    というのは、彼らは「初穂」を借りていたんですね。初穂というのは、その年初めて収穫された、お米(正確には去年ですが)です。

    で、この初穂は「神聖な力が宿る」と考えられていました。そのため、これを毎年蔵におさめて、翌年の種まきの時に「みんなで使った」のです。

    そして収穫ができたら「神聖な稲を貸してくれた神に対する感謝の気持ち」として、「利息をつけて返済した」ということなんですね。神社の建物を「祠(ほこら)」というのは、「穂の倉」→「穂倉(ほくら)」→「祠」という風に変遷したのが、由来なのです。(富山和子『日本の米』)

    つまり日本において利息というのは―。

    • 「利益のため」ではなく
    • 「神への感謝のため」に
    • 「自然発生」した

    ものなんですね。この点、多くの人が想像する成り立ちとは、大分違うでしょう。(おそらく、ほとんどの人は「大昔の商人が、何もしらない庶民に高利で融資したのが原点」と考えていると思います。しかし、実際にはこういう「宗教的なもの」だったのです)

    3.飛鳥時代

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    大化の改新の立役者・中臣(藤原)鎌足。「生ごみの固まり」というアダ名で有名。彼の「班田収授の法」は「利息の否定」という点で「サラ金バッシング」の走りとも言える。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.60(保護期間満了)

    3-1.646年には「利子」が成立していた

    勾玉(まがたま)。言わずとしれた、当時の宝石&アクセサリー。こういう貴金属を質屋に持っていくと、お金に困っている時は必ず買い叩かれる(雰囲気でわかるため)。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.56(保護期間満了)

    『日本書紀』を見ると、飛鳥時代の646年には、すでに「利子」が成立していたことがわかります。まとめると―。

    • 『日本書紀』646年3月19日の記事(正確には、大化二年三月癸亥辛巳)
    • 「貸稻(いらしいね)を罷(や)むべく、其の屯田を以ては群臣及び伴造等に班(わか)ち賜う。」と書かれる
    • 「貸稲」とは、「お米を融資して、利息をつけて返済させる」もの

    …ということです。つまり「お金の貸し借り」ではありませんが、「米の貸し借り」については、すでに当時「利息が定着」していたわけですね。で、それを「廃止しよう」と言ったわけです。

    これは「大化の改新」で出された詔で、有名な「班田収授の法」の一部です。中学時代に習った超重要単語ですが、この時期にすでに「日本のキャッシング・カードローン」の原型が見られるわけですね。

    3-2.文武天皇が「政府の融資」を「無利息」にする

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    正倉院に残っている阿波国=徳島県の地図。古代にしてはよく書けている(上から目線)。ちなみに、北が右になっている。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.103(保護期間満了)


  • 現代のキャッシングでは、「初回30日間無利息」などの、いわゆる「無利子キャンペーン」というものがあります。これは飛鳥時代にも登場(?)していて、文武天皇が即位直後の文武元年に、下のような通達を出しています。

    今後、政府による稲の貸付「大税」(おおちから)の利息は、取らないことにする

    …というものです。これはもちろん「貧民に対する救済策」ですが、何はともあれ政府による「無利息キャンペーン」の走りと言っていいでしょう。

    4.奈良時代

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    貸金業の原点「修多羅供事」は、聖武天皇の命令で始まった。これは修多羅供事ではないが、何かしらありがたい命令が書かれた、聖武天皇による勅書。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.73(保護期間満了)

    4-1.「公出挙・私出挙」が始まる

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    修学旅行でほとんどの人が行ったはずだが、多分全然覚えていない、正倉院。公出挙の利息はここにも納められたはず。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.97(保護期間満了)


  • 出挙(すいこ)とは「利子付きで、貸し借りをする」ということ。初期は主にお米でしたが、その後、布・酒・金銭などすべてのもので、出挙をするようになりました。

    • 国による出挙…公出挙(くすいこ)
    • 民間の出挙…私出挙(しすいこ)

    という区別があり、この時から現代でいう「民間のカードローン会社」の萌芽が見られます。

    「出挙」という言葉が歴史に初めて登場したのは「養老律令」ですが、『金貸しの日本史』によれば、出挙自体は、飛鳥時代の「天武天皇」の時代から始まっていたと思われる、ということです。

    4-2.飛鳥時代には、出挙が始まっていた?

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    出挙の元祖と思われる天武天皇…と、女帝の持統天皇が眠る墓。死後もイチャイチャしているとか、いないとか。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.28(保護期間満了)


  • 文献を当たると、はっきりしているのは『日本書紀675年4月9日』の下の記述です。

    先づ富貧を知りて三等(みしな)に簡(えら)び定め、仍りて中戸より以下に応与貸(いらしあたえ)よ。

    この意味は、「経済力によって人々を『3つのレベル』に分け、中間より下の人間に、貸すようにしろ」ということです。つまり「あくまで利益のためではなく、低所得層の救済として」の出挙が、この時期に広まっていたのではないかと思われます。

    (少なくとも、天武天皇は広めようとしていたのだと思われます)

    4-3.聖武天皇の「修多羅供事」から、寺院が「金貸し」を始める

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    大仏建立の責任者・行基。東大寺も修多羅供事の対象だったので、彼も当然この厄介な 神聖な役務に従事していただろう。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.65(保護期間満了)


  • 出挙からさらに進化して、現代のキャッシング業者のように「利息で資産運用」を始めたのが、実は「寺院」です。聖武天皇が提唱した「修多羅供事」(すたらくじ)が、きっかけです。まとめると―。

    • 聖武天皇が、金鉱の発見を仏に感謝し、寺院に寄付をした
    • しかし、寄付には注文がついていた
    • 「修多羅供事」という布教活動を、「未来永劫」続けろ、というもの

    で、当然ですが人間が活動をするには「元手」が要ります。寺院からしたら「たった1回の寄付で、未来永劫続けろとか、無理に決まってるだろ」という話です。しかし、天皇命令なのでやるしかありません。

    そこで彼らが考えたのは「寄付を運用する」ということ。出挙だったら「利息が取れる」ので「その利息によって、天皇からもらった財産を増やしていけば、修多羅供事を続けられる」ということですね。

    こうして彼らは「仏の富を運用する」という形で「融資」を始めたのです。ここでもやはり「宗教」が起源になっているんですね。

    4-4.寺院がいつの間にか「高利貸」に転じる

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    平城京の地図。高利貸に転じた寺院も、この中に紛れ込んでいると思うと、よりいっそう神聖に見えるだろう。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.112(保護期間満了)


  • 最初は「まじめな理由」で始まった「寺院の金貸し」ですが、多くの人の想像通り、一部の僧侶が早速「腐敗」を始めました。修行そっちのけで「高利貸」になってしまったんですね。

    (高利貸といっても、奈良時代前半は米や酒、絹などの融資で、金銭による融資は後半からです)

    そのような高利貸に成り下がった僧侶たちについて、桓武天皇も下のように批判しています。箇条書きすると―。

    • 多くの寺院が、暴利を貪っている
    • 自宅を質に取っている
    • 利子を元本に組み入れている(複利)
    • 寺院を監督する立場の役人たち(三綱)も、法律を無視している

    …という内容です。(『続日本紀』)

    驚くべきことは―。

    • すでに「担保」が見られる
    • 「複利」による貸付をしている

    …ということです。今から1300年前に、すでに現代のキャッシング・カードローンに近いルールが、生まれ始めているんですね。

    桓武天皇はこのような「腐敗した寺院」に嫌気が差し、彼らを置き去りにして「平安京」に遷都します。「平安時代」の始まりです。

    5.平安時代

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    平安時代に成立した絵巻物のジャンル「過去現在因果経」。カードローンの歴史に添えるのに最適(多分)な一枚。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.165(保護期間満了)

    5-1.現代の「消費者金融」と同じシステムが生まれる

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    日本の漫画の元祖といわれる、鳥羽僧正『鳥獣戯画』。キャッシングの歴史とはまったく関係ない。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.178(保護期間満了)

    現代の消費者金融は、下のようなシステムで融資しています。

    • 銀行から「お金を借りて」来る
    • それを、「利用者に融資」する

    …ということです。この差額(利ざや)が消費者金融の利益になるわけですね。

    つまり「消費者金融も実は、借金している」のです。回収にやっきになるのは「返してもらえないと、彼らも銀行に返済できなくなる」からなんですね。

    で、ヤミ金融は「消費者金融から借りて、それをさらに利用者に貸す」というやり方をしています。だから「消費者金融より高金利」になるんですね。すべてのヤミ金融が「ウシジマくん」のように暴利を取っているわけではなく「消費者金融との利ざや分だけ」を取っている「大人しいヤミ金融」も、一部で存在しています。

    さて、その現代の消費者金融と同じシステムが、平安時代に「国―民間」のラインで生まれています。それを説明します。

    5-2.公出挙・私出挙を組み合わせた租税方法が広まる

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    働く平安女性の図。右の3人は借金返済のために働いている(嘘)。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.176(保護期間満了)

    出挙は先にも書いた通り「米~金銭まで、あらゆる物の貸し借り(利息つき)」というもの。そして、平安時代には普通の税金と並んで、公出挙が重要な政府の財源になっていました。

    ということは、政府も「いかにして、公出挙でたくさん融資するか」を考えるようになります。現代のカードローン会社・キャッシング業者とまったく同じですね。

    で、「たくさん借りてを確保する」ために彼らが考えたのは―。

    • 庶民だけでなく「私出挙」(貸金業者)にも融資する
    • 彼らがそれを、「さらに庶民に貸付」する
    • その時、公出挙よりも高い金利をかけるのを認める
    • そうすれば、その差額が「私出挙」の利益になる
    • だから、彼らは張り切って「借り手」を見つけてくれる
    • 結果、国の税収も増える

    …ということです。つまり「ギャラ払うからさ。どんどん公出挙を庶民に貸しつけてよ」と、国が民間の貸金業者に対して依頼した…ようなものです。

    (実際に依頼したわけではありませんが、結果として起こったことを、わかりやすく表現すると)

    で、この時の「利率の差額」ですが―。

    • 公出挙の金利…年率30%
    • 私出挙の金利…年率50%
    • 差額(私出挙が得る利益)…年利20%

    …となります。今のキャッシング・クレジットカードの上限金利も「実質年率20%」なので、偶然にもまったく同じです。

    (さらに偶然なことに、紀元前3000年に制定された、メソポタミアの「ハンムラビ法典」でも「銀の貸付利息は実質年率20%」ということで、現代の日本のキャッシングと同じになっています。)

    6.鎌倉時代

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    「金銭による融資」が定着。現金の融資なので、もう立派な「キャッシング」である。ちなみに、このどれか1枚あれば、100万単位の借金が即時完済できる。欲しい。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第1巻』P.201(保護期間満了)

    6-1.金銭による融資が一般的になる

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    教科書でよく見た「元寇」の絵。この時、恩賞代わりに御家人の借金を棒引きにする「徳政令」が出された…、と学校は教える。しかし、元寇はおそらく口実で、幕府は借金・賭博にまみれた御家人の生活を、精算するチャンスを狙っていたと思われる(『金貸しの日本史』)【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第2巻』P.16(保護期間満了)


  • 「現金での融資」は、奈良時代や平安時代も一応ありました。しかし、中心は「稲」などの「物品」でした。それが逆転し「現金での貸付が主流になる」のが、鎌倉時代です。ここまで来ると、現代のキャッシングにかなり近づいたといえるでしょう。

    「出挙」を金銭でするということで「利銭出挙」(りせんすいこ)といいます。そして、利銭出挙で貸し付ける現金を「挙銭」(こせん)と呼びました。

    6-2.本格的な「上限金利の規制」が始まる

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    鎌倉時代の地図。東北が枠からはみ出ているせいで、何となく立体感がある(カードローンと画像は関係ありません)。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第2巻』P.86(保護期間満了)


  • 「上限金利の規制」というのは「これ以上の金利を取ったら違法である」というラインを、国が定めることです。これは現代のキャッシングでは「2010年のグレーゾーン金利撤廃」が一番有名で、この是非については、今でも議論が分かれています。

    で、この「政府による上限金利の規制」というのが、最初に本格的に始まったのが鎌倉時代なんですね。まとめると―。

    • 嘉禄2年(1226年)1月26日の発布
    • 私出挙の利息は、元本の2倍を超えてはならない
    • 特に現金での融資の場合、元本の1倍を超えてはならない

    …という内容です。たとえば「10万円」の貸し借りだったら―。

    • 10万円相当の「物品」…利息が「20万円」まではOK(返済総額30万円相当)
    • 10万円の「現金」…利息が「10万円」まではOK(返済総額20万円)

    …ということですね。つまり「現金での融資の方が、低利息でなければいけない」ということです。

    この点については、現代のキャッシング・クレジットカードとは逆になっています。現代の場合―。

    • キャッシング(現金での融資)…高金利(年率18%が基本)
    • 車・家電などの分割払い…低金利(年率5%~15%、金額による)

    …となっています。鎌倉と現代で違いが出るのは「お米の場合、増やして返済するのが簡単」だったからです。お米以外の物で借りた場合は大変だったでしょうが、「お米の返済の場合、割と楽」という理由があったんですね。

    (お米は、一粒の種籾を借りて栽培すると、140倍の米粒が収穫できるのです。「一粒万倍」の言葉の由来です)

    …ということで、現代とは法定利息の感覚が少々ずれていますが、それでも「政府が法定金利を制定し始めた」ということは、画期的なことです。

    7.室町時代

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    足利尊氏に敗れた後醍醐天皇。二人がdisり合った南北朝時代は「日本中が無法地帯」だったので、借金の契約は成立しなかった。なぜか、天皇と付き人の視線が、全然合ってない。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.14(保護期間満了)

    7-1.「地方銀行」の元になる「無尽」が始まる

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    長年「足利尊氏」と言われてきた騎馬武者像。最近では「高師直」の説が有力。やはり学校はあてにならない。【出典】Wikipedia『高師直』(パブリックドメイン)


  • 室町時代には「地方銀行」の原型が登場します。「無尽講」(むじんこう)という地域の助け合い集団で、略して「無尽」といいます。

    気づいた人もいるかも知れませんが、アコムの自動契約機の名前も「むじんくん」です。これは作家の井上ひさし氏がコラムで「うまいネーミング」と絶賛したことで、一躍「むじんくんの名前の由来」として知られましたが、実は「ただの偶然」です。

    無尽の仕組みを簡単に説明すると―。

    • 1.みんなでお金を集めておく
    • 2.誰かが物入りになった時、そのお金で助ける

    …というものです。簡単な原理ですね。金融業でもあると同時に「セーフティーネット」でもあったわけです。

    無尽はその後―。

    • 戦時中まで…無尽
    • 戦時中…無尽会社
    • 戦後…相互銀行
    • 昭和…第二地方銀行
    • 現代…地方銀行

    …という風に成長して、地方銀行になっていきます。現在、人々が使っている「関西アーバン銀行」などの地方銀行は、室町時代まで遡るルーツがあるんですね。

    7-2.「質屋」の元になる「土倉」が始まる

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    8代目将軍・足利義政。借金を帳消しにする「徳政令」を連発したため「徳政将軍」と呼ばれる。徳政令を出さないと、農民による土倉への「打ち壊し」が激しく、収拾がつかなかった。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.30(保護期間満了)


  • この時期、質屋の原型である「土倉」も、本格的に始まります。土倉という名前は「物を閉まっておく、頑丈で広い倉庫が必要だった」ためです。「倉庫を持っている人=質屋になれる人」だったんですね。

    当時の土倉には「借上」(かしあげ)という別名もありました。こちらは質屋というより「キャッシング業者」に近いイメージの名前ですが、中身は両方同じです。

    7-3.足利尊氏の「建武式目」で、無尽と土倉が保護された

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    尊氏直筆の絵と文字。さりげに絵がうまい。文字が現代人っぽい。左下のサインまで、しっかり読める。野球選手に見習ってほしい。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.76(保護期間満了)

    足利尊氏は、幕府を開くと早速「建武式目」という法律を定めます。これが画期的だったのは「農業よりも、商業・金融業を重視した」ということ。そして、そのための具体策の一つとして、「無尽・土倉の保護」があったのです。建武式目に書かれている内容は―。

    • 身分の上下を問わず、みんな金銭的に苦しんでいる
    • 急にお金が必要になった時、融通してくれる所が必要だ
    • そのために、急いで土倉・無尽を保護する必要がある

    …というものです。現代の消費者金融バッシングだけでなく、金貸しというのはいつの時代も嫌われるものです。その中で、このように「急ぎ保護するべきである」と、トップに就任早々発表した尊氏は「かなり優れた経済感覚を持った人」だったんですね。

    (武士というイメージがありますが、実は結構ビジネスマンだったのです)

    8.戦国時代

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    信長の妹・お市の方。野郎ばっかりでむさ苦しいので、登場していただいた。キャッシングとは関係ない。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.44(保護期間満了)

    8-1.戦乱の時代は「契約が無意味」になるので、貸金業は止まる

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    「徳川四天王」の一人、本多忠勝。家康が今川の人質だった頃からの老臣で、彼らが日々の生活を節約し、たくさんの金銭や米をたくわえ、家康の帰りを待っていたことは有名。多重債務者が生活を再健する時にも、こういう覚悟がほしい。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.56(保護期間満了)


  • 室町時代でかなり現代のキャッシング事情に近づいた、日本の貸金業―。しかし、これは戦国時代で一度リセットされます。

    • 戦乱の時代は、契約なんて意味がない
    • 契約が通じなければ、貸金業は誰もやらない

    …ということです。クレジットというのは英語で「信用」という意味ですが、戦国時代は文字通り「誰も信用できない」(クレジットできない)社会になるわけです。

    実際「お金を借りる方も、相手のお金が欲しければ殺せばいい」という時代ですから、借りる側にも、特に借金の需要はないのです。ということで、この時代はキャッシングの歴史の進化は完全に止まりました。

    8-2.他にも、キャッシングの進化が止まった時代・一覧

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    人の世虚しい(1467年)、応仁の乱。動乱の時代は「信用=クレジット」がなくなるので、キャッシングのようなサービスは成立しない。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.196(保護期間満了)


  • 日本史が好きな人はすぐ気づいたでしょうが、「日本中が戦乱状態になった」のは、戦国時代だけではありません。

    • 1.南北朝時代(鎌倉と室町の中間)
    • 2.戦国時代
    • 3.明治維新
    • 4.第二次世界大戦

    この4つが「日本中が戦火に包まれた時代」なんですね。このどの時代でも、キャッシング・クレジットの歴史は進化を止めています。ただ、その中でも特に長期間止まっていたのは、戦国時代です。

    ということで、この時代は日本のキャッシングの歴史の「暗黒時代」と言っていいでしょう。「失われた80年」ですね。

    9.安土桃山時代

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    前田利家。彼も「金貸し」だった。秀吉の天下統一が近づいた頃「奪い取れる領土や財産がなくなり」財政難になっていた各地の大名にお金を貸していた。しかし取り立てはゆるく「借金の催促はするな。返済できない人間は許してやれ」と「セルフ徳政令」を出していた。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.51(保護期間満了)

    9-1.武将&金貸しの「岡定俊(岡左内)」が活躍する

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    岡左内が最初に使えた君主・蒲生氏郷。側室を持たない「一途な男性」だったが、そのせいで子供が少なく、蒲生の血筋はすぐに途絶えた。戦国武将はエロい方が良いらしい。【出典】国立国会図書館『国史大図鑑. 第3巻』P.50(保護期間満了)


  • 安土桃山時代は、まだ半分戦国なので、貸金業の進化も止まっています(貿易は盛んだったので、職業は急速に発展していますが)。

    こういう戦乱の時代に金貸しとして堂々と活躍できる職業の一つに「武士」があります。武士が商人からお金を借りる場合「返済できなかったら、斬り捨てればいい」という発想になりますが、相手が武士だったらそれはできないからです。

    で、登場したのが「岡定俊」(通称…岡左内)と呼ばれる武将です。彼は蒲生家・上杉家に仕えましたが、武士としては珍しく経済感覚にすぐれ、資本をどんどん増やしていました。

    そして、武士はいつの時代も「お金のことを考えるのは恥」としているので、金銭感覚もないまま、ひたすら左内から借金をしていました。

    周りの武士は、お金を借りておきながら左内のことを軽蔑していたのですが、それが関ヶ原の戦で一変します。関ヶ原で参戦しようとした上杉家には「もう、軍資金がない」状態だったのです。

    その時左内は、手持ちの資金をすべて差し出し「金は、こういう時に使うものぞ」と言い放ちました。

    これまで左内を「守銭奴」として軽蔑していた同僚の武士たちは、この時左内の生き方を見直した…ということです。

    9-2.現代のお金持ちとも共通する、左内の思考回路

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    世界一の投資家・ウォーレン・バフェット(右の黒い人)。彼も岡左内と同様「ここぞという時しか、お金を使わない」人間の代表である。【出典】Wikipedia『Warren Buffett』(パブリックドメイン)


  • 左内のこの言葉「金は、こういう時に使うものぞ」というのは、すべてのお金持ちに共通している思考回路です。彼らは―。

    • 普段の消費では、とことんケチ
    • しかし、事業の投資では、突然大胆になる

    …という習性があります。事業の投資以外でも「この人との縁は大切である」と思ったら、いくらでも気前よくおごります。逆に「どうでもいい見栄」のためにおごったりすることはありません。

    キャッシングの歴史の発展は止まっていた時代ですが、岡左内という「金貸し武将」の生き方は、現代人にもヒントがあります。

    10.江戸時代

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    羊羹(ようかん)を売り歩く江戸時代の町人。こうした物売りは、その日の仕入れのために「日銭貸し」という「日賦貸金業者」からお金を借りていた。【出典】国立国会図書館『世渡風俗圖會.』 [1] P.16(保護期間終了画像)

    10-1.三井グループの原点「両替屋」で、貸金業が全盛

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  • 駿河町(今の日本橋室町)の三井越後屋。現在ではご存知「三越本店」がある。三越は「三井越後屋」から生まれた(三井両替店は、その「決済業務」に特化したもの。今で言うなら「三越ファイナンス」のようなノリである。【出典】国立国会図書館『東都名所』駿河町之図(歌川広重)*保護期間満了

    江戸時代の貸金業は一気に発達し、ほとんど現代に近いレベルになります。その中でも特に活躍したのは「両替屋」で、これが現在の「三井住友銀行」などのルーツになっています。

    • 三井住友銀行…三井両替店
    • 三菱東京UFJ銀行…鴻池両替店

    …という風です。「三井・三菱」は今でも「ライバル財閥」の代表ですが、この戦いは当時から始まっていたんですね。

    両替屋は「大名貸し」と言って、大名に対しても融資をしていました。「金貸しは、国家に対して、金を貸す」という川柳もありますが(時代は不明)、この時代は完全にそれが定着していたのです。

    両替屋の融資の審査は厳しく、現代でいう「クレジットスコアが低い人」は、お金を借りることができませんでした。そのため、「両替屋からお金を借りられる」というのが、一種の信用度の証にもなっていたくらいです。

    (借金=信用度の証、というエピソードでは、ローマのカエサルが、小役人だった時代からすでに「国家予算レベルの借金をしていた」ということに、如実に現れています)

    …とにかく、現代でいうなら「銀行の住宅ローン」「日本政策金融公庫」のような審査の厳しさを誇った両替屋が、この時期の「キャッシング」の主流の一つになります。

    10-2.武士の「踏み倒し」によって、個人信用情報機関が登場する

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    江戸を代表する地本問屋(書店)の鶴屋(喜右衛門)。この時代、実質的な力があったのは、武士ではなく商人だった。【出典】国立国会図書館『江戸名所図会. 第7巻』P.63(保護期間満了)


  • 現代のカードローンやクレジットカードの審査で、いわゆる「ブラックリスト」などを管理する、個人信用情報機関。実は、これは江戸時代にもすでに原型が登場しています。

    江戸時代の武士は、大名から御家人まで、すべてが「商人からの借金漬け」でした(岡左内から借りていた、上杉家の武士たちと同じですね)。

    しかし、当時は「斬り捨て御免」の時代だったので、武士はいざとなれば、商人を斬り殺すことが可能でした。そのため、「お断り」という、武士による「借金の踏み倒し」も横行したのです。

    また、返済が滞って借りられなくなった武士が、「他の金貸しから借りる」ということも、たびたびありました。これを「転宿」(てんやど)というのですが、現代でいう「多重債務者の借り回り」のようなものです。

    当然、これらの武士に融資したら危険なので、貸金業者たちは「組合」を発足させます。そして、上に書いたような「ブラックリストの利用者たち」の情報を共有したのです。仕組みは原始的ですが、現代のJICC・CIC・KSCなどと同じ「個人信用情報機関」と、実質同じものです。

    (もともと、現代の個人信用情報機関も、こうして戦後のキャッシング業者の間で自然発生したものです)

    11.明治時代

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    明治時代に日本にも入ってきた「蓄音機」。当時の庶民がこれを買おうとしたら、現代でいうクレジットカードが何枚必要だっただろう。【出典】国立国会図書館『世渡風俗図会 第7巻』P.45(保護期間満了)

    11-1.明治4年「上限金利が撤廃」される

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    板垣退助・伊藤博文…、明治のセレブの間では「ヒゲ」がブームだった。彼らにあこがれて「付け髭」をする者も多く、画像のような「付け髭屋」もいた。ちなみに、こういう流行を追う人は破産しやすい。【出典】国立国会図書館『世渡風俗図会. 第7巻』P.48(保護期間満了)


  • 明治政府が始まって早々の「明治4年」、日本のキャッシングの歴史上初めて「上限金利が撤廃」されます。ここまで書いた通り出挙の時代から始まって、利息には常に上限があったので、それを政府が撤廃したのは、画期的なことでした。

    これが決められたのは明治4年の「太政官布告」で、中身は「天保の改革から続いてきた、利息制限を撤廃する」というものです。天保の改革というのは、「江戸三大改革」の最後のものですが、その時代からの金利規制が、まだ続いていたんですね。

    ただ、この「法定金利撤廃」はうまくいきませんでした。というのは「契約書に利息を書かず、後で暴利を貪る悪徳業者」が登場したからです。ヤミ金の走りですね。

    そのため、少なくとも「契約書に金利が書かれていなかった場合」の上限金利だけは、制定する必要が出てきました。

    11-2.2年後に「年率6%」の「通常金利」が制定される

    2年後の「明治6年」、「契約書に何も書かれていなかった場合、金利は年率6%とする」という太政官布告が出ます。年率6%というのは、現代のキャッシングで言うと、「1つの業者・銀行で、400万円程度借りた時の金利」です。

    たとえば「500万円借りた時の金利(絶対ではない)を見てみると、業者・銀行ごとに下のようになっています。

    プロミス 4.5%(実質年率)
    三井住友銀行カードローン 4.0%(実質年率)
    三菱東京UFJ銀行カードローン「バンクイック」 1.8%(実質年率)

    …という風です。つまり「年6%」というのは、これより少し高金利なので「大体400万円を借りた時の適用金利」ということですね。

    で、400万円借りるには、総量規制から単純計算して「年収1200万円」が必要です。そのレベルの低金利が、当時の「通常金利」になったわけです。かなりの低金利ですね。

    11-3.通常金利は安くても、実際に使われる金利は暴利だった

    上に書いたのは、あくまで「契約書に金利が書かれていなかった場合」の金利です。ということは「しっかり契約するなら」どんな高金利をかけてもよかったんですね。

    そして、そうなれば当然「メチャメチャな高金利」での取引が横行します。この当時の文章では「古今未曾有各国無比の高利」と、役人によって書かれるくらい、「あり得ないレベルの暴利」が、まかり通っていました。

    そのため、明治政府は金利制限の必要性を感じ、急遽「利息制限法」を定めます。国の法律の基本である「民法」や「刑法」よりも先に利息制限法ができた…というのを見ても、いかに金利の問題で庶民が混乱していたかがわかるでしょう。

    このように、明治時代にはすでに「庶民がお金を借りる」という行為は、相当一般的になっていたんですね。

    12.大正時代

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    「日本資本主義の父」渋沢栄一。日本初の商業銀行・第一国立銀行を設立し、これがみずほ銀行の元となる。【出典】Wikipedia『渋沢栄一』(パブリックドメイン)

    12-1.「公益質屋」が、宮崎県で登場する

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    宮崎ではないが、沖縄県・伊江島の公益質屋跡。観光名所になっている(フォトライブラリーで購入)。


  • 公益質屋というのは―。

    • 低所得者を助けるための
    • 公営の質屋

    のことです。完全ボランティアではありませんが、ある程度補助金が出るので、低所得の人々がかなりの低金利でお金を借りることができます。

    公益質屋やヨーロッパの歴史でも中世から登場しているのですが、日本では少々遅く、大正時代に初登場となります。宮崎県南那珂郡細田村営質庫というもので、要するに―。

    • 宮崎県
    • 細田村

    …という場所です。これを皮切りに他の地域でも公益質屋が増えていきましたが、大正時代全期を通じて「約39」でとどまるなど、私営質屋の経営をおびやかすレベルにはなりませんでした。

    12-2.「セーフティーネット貸付」が機能しないのは、現代と同じ

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    公益質屋。カウンター(?)の向こうの2人は、お借りに来たお客さんだろうか。(ちなみに、画像は1960年頃のもの)【出典】Wikipedia『質屋』(パブリックドメイン)


  • 公益質屋は、いわゆる「セーフティーネット貸付」だったわけですが、こういう貸付があまり機能しないのは、現代でも同じです。現代では―。

    • 生活福祉資金
    • 母子(父子)福祉資金
    • 年金担保貸付制度
    • 職業訓練受講給付制度

    などのセーフティーネット貸付(あるいは給付)があります。しかし、これらが必要な低所得の人ほど、いわゆる「情報弱者」の傾向があり、これらのセーフティーネット貸付を知らないということが多いです。

    また、公益だとどうしても民間の消費者金融などのように「バリバリ顧客を探しに行く」ということをしません。また、コスト削減などの努力もしません。そのためどうしても「それほどセーフティーネットが広まらない」という事態になるのです。

    13.昭和(戦後)

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    デパートの求人に殺到する若い女性(戦前)。クレジットカードの隆盛につながる消費文化は、この頃から本格化し始めた。【出典】『新聞総合』1935年6月7日号(パブリックドメイン)

    13-1.戦後の物不足で、質屋が隆盛する

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    すし詰めで汽車に乗り込む人々。当時は大変だったろうが、こうして写真で見ると何となくいい時代に見える。【出典】GATAG(パブリックドメイン)


  • 戦後は、当然「物不足」です。「物が不足する」=「物の価値が跳ね上がる」ということで、質屋にとっては「質草を、簡単に高値で売れる」時代になったんですね。

    ということで、質屋はガンガン質草を預かって、お金を貸すことができました。一方の庶民はというと―。

    • 着物などの「物」は持っている
    • しかし、それを換金する方法はない(質屋以外)
    • それに、今日食べる物がない

    …ということで「物の価値が高い時代」と言っても、物を持っている「庶民」は、その恩恵に浴することができなかったのです。(現代だったらヤフオクやリサイクルショップで売れますけどね)

    そのため、質屋だけが「ガンガン仕入れて、ガンガン売れる(富裕層に売る)」という「絶好調の時代」を迎えました。しかし、間もなく「高度経済成長」の時代になり、質屋は一気に廃れます。

    13-2.「商品サイクル」が短くなり、質屋が不利になった

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    「三種の神器」などの家電を、庶民でも購入できるようになった。この頃から「割賦販売」が普及し、後のクレジットカードにつながっていく。【著作者】panDx1(Creative Commons [CC BY 4.0])【出典】http://free-photos.gatag.net/2013/05/07/060000.html


  • 質屋は当然「古い商品を預かり、それを売る」仕事です。戦前の「商品サイクルが長い時代」はそれでよかったのですが、戦後は一気に経済が発展し、「数年前の商品は、まったく価値がない」という時代になってしまいました。

    (大量消費、大量廃棄の時代ですね)

    そのため、質屋の全盛期はあっという間に終わります。この時期アコムの前身の「丸糸」も、質屋から「貸金業専門」に転じます。いよいよ「消費者金融」の登場です。

    13-3.アコム・プロミス・レイクなどが「サラリーマン金融」を始める

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    レイク・プロミス・アコムなどが対象とした、繁華街のサラリーマン達(とカップル)。【著作者】panDx1(Creative Commons [CC BY 4.0])【出典】http://free-photos.gatag.net/2013/04/20/030000.html


  • サラリーマン金融というのは、短く言うと「サラ金」です。イメージが悪いと思うでしょうが、当時はこれは「モダンなサービス」だったのです。

    • 当時のサラリーマンは、右肩上がりの将来が約束されていた
    • 現代と違い「ステータスのある立場」だった
    • その人々に対する融資も「ステータスのあるサービス」だった

    ということです。実際、たとえば創業時のレイクが相手としていたのは、大阪梅田エリアに集まる、テレビ局の社員や銀行員です。エリート中のエリートですね。そういう人がメインで利用するサービスですから、現代でいう「アメックスのゴールドカードを持つ」ような感覚だったのでしょう。

    アコムやプロミス・アイフルなどの他の大手も、やはり―。

    • 公務員
    • 一流企業の社員

    という、「とことん信用度の高い人」だけに融資していました。この時代の「サラリーマン金融」というのは、「高いステータスの象徴」だったのです。(ちなみに、初期の言葉では「勤め人信用貸し」と言いました)

    14.昭和(バブル期)

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    「団子鼻」と親しまれた0系新幹線(1976年)。2008年に最後の運転を終えた。(画像はフォトライブラリーで購入)

    14-1.70年頃から、個人信用情報機関が登場する

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    昭和後期の、東京証券取引所の株券売買立会場。この頃のバブルのツケがたたって、銀行は個人向けカードローンへの参入が遅れた。(画像はフォトライブラリーで購入)


  • 1970年頃から、徐々に「個人信用情報機関」が登場します。現代の「JICC・CIC・KSC」につながるものですね。

    当初は、「業者の仲間内で、お互いの顧客のブラックリスト情報を交換し合う」というだけの原始的・庶民的なものでした。それが本格的に整備されたのは1972年で、大阪でレンダースエクスチェンジ(LE)という組織が登場したのが、最初です。

    「レンダースエクスチェンジ」は、直訳すると「貸し手のための交換」。つまり「キャッシング業者の情報交換組織」ということです。

    大阪で始まったのは、消費者金融はもともと大阪の方が有力だったため。アコム・プロミス・アイフル・レイクなどの大手は、みんな大阪・神戸・京都からスタートしています。

    東京もやや遅れて1975年頃に「ジャパンデータバンク」(JDB)という個人信用情報機関を組織。そして、1976年に現在のJICC(日本信用情報機構)の大本となる「全情連」が登場します(10の小規模な個人信用情報機関の連合)。

    14-2.1977年に、最初の「サラ金バッシング」が起こる

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    バブル期の歌舞伎町のイメージ。この頃の多重債務者は現在と違い「浪費が原因」というものが多かった。(画像はフォトライブラリーで購入)


  • いわゆる「クレサラ問題」は、1970年から徐々に社会の表面に出てきます。そして、決定的になったのが1977年で、「日本で最初の、クレサラ問題被害者の会」が登場。マスコミでも、民放連が「サラ金のテレビCMの自粛」を求めるなど、社会的な風当たりが強くなっていきます。

    しかし、それとは裏腹に、利用者はひたすら増え続けていました。1980年代に入ると、消費者金融の順調な業績に目をつけて、銀行も「個人向けカードローン」を始めますが、これらは失敗に終わりました(消費者金融のような、無担保でリスクの高い個人に融資する、というノウハウがなかったため)。

    15.平成(90年代~00年代)

    15-1.93年に自動契約機が登場。爆発的ブームとなる

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    無人契約機の先駆け・アコムの「むじんくん」。日本の消費者金融が世界から注目されるビジネスとなる、きっかけの一つだった。【著作者】Mariemon(Creative Commons [CC BY 3.0])【出典】Wikipedia『アコム』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%A0


  • 1993年には、アコムの「むじんくん」で、業界初の「自動契約機」が登場。社会現象レベルのブームとなり、他社も次々に追随。後に新規の申し込みの大部分が無人契約機経由となり、業界の構造が一気に変わります。

    実は、無人契約機のプロトタイプは、プロミスの方が先に作っていました。それも10年ほど前の1983年頃です。プロミスが無人契約機を実用化できなかった理由は―。

    • 当時はデータの転送技術が未熟で、使い物にならなかった
    • 第二次サラ金バッシングが起きた頃で、「安易に利用者を増やす」と批判される危険があった
    • そのため「既存顧客に丁寧に対応する」ことを、プロミスは優先した

    …ということです。この判断はもちろん正しいです。アコムとプロミスの自動契約機の開発を分けたのは、ただ単純に「タイミング」の問題だったのです(もちろん、アコムはタイミングが良かっただけでなく、NECと組んだ綿密な商品開発など、多くの人の想像を絶する努力をしていたのですが)。

    15-2.日本の長者番付の上位を、消費者金融の経営者が独占する

    2000年代に入ると、フォーブズの長者番付の「日本人ランキング」の上位を、消費者金融の経営者が独占するようになります。ある年度は、上位10人中―。

    • 武富士
    • アコム
    • プロミス
    • アイフル

    …と、消費者金融の経営者が4人も入っていました。武富士会長の武井保雄氏が「日本人の2位」で、ソフトバンク会長の孫正義氏が「9位」でした。孫会長との比較でも、当時の日本の消費者金融がどれだけすごかったかわかるでしょう。

    ちなみに、その頃出版された『武富士流 金儲けの極意』という本には、孫正義氏が「最近読んだ中で、もっとも衝撃を受けた本」という紹介文を、帯で書いています。武富士をはじめ、消費者金融のビジネスモデルは、これだけ評価されていたのです。

    15-3.貸金業法改正・過払いによって大打撃を受ける

    その後、消費者金融は「目立ちすぎた」ために叩かれることになります。まとめると―。

    • 2006年1月…最高裁判決(シティズ判決)により「過払い請求」が認められる
    • 以降、過払い請求が相次ぎ、倒産するキャッシング業者が続出する

    …というのが「過払い」に関する打撃。もう一つ大打撃になったのが「貸金業法改正」です。

    • 総量規制…年収の3分の1までしか融資してはいけない
    • 金利引き下げ…上限金利が「29.2%」→「20%」になる
    • その他の規制…回収の言葉遣いなど、あらゆる面で規制がかかり、コストが増大する

    …という内容です。公布は2006年で、施行は2010年ですが、公布の段階からすでに消費者金融に大きなダメージがありました。

    この貸金業法改正については今でも賛否両論があるのですが、何はともあれ、この時から消費者金融が完全に勢いをなくし、銀行カードローンに組み込まれたり、銀行の傘下に入ったりするようになります。

    (それによって、社会的なイメージはだいぶ良くなっているというメリットはありますが)

    16.キャッシングの歴史・まとめ

    以上、日本のキャッシング・貸金業の歴史のポイントをまとめると―。

    • もともと、宗教的な儀式として始まった
    • 古代から「お金に困った人が、貸金業者から借りる」という構図は変わらなかった
    • 貸金業者を規制すると、逆に貧民が困る…、という構図も、昔からあった
    • リスクの高い借り手に融資する分、高いリターンを取ることは許される

    …ということです。世間の人は「キャッシング業などなくなればいい」と思っているかも知れませんが―。

    • 歴史上、貸金業がなかった時代は「戦乱の時代」だけである
    • 「無担保・小口融資」という商売は、いつの時代も必ずニーズがある
    • だから、キャッシング・クレジットカードなどのサービス自体は、絶対に社会に必要
    • それを「正しい形・規模」で続けていくことが大事
    • 一時期の消費者金融は「形・規模」が正しくなかったのが問題

    …ということです。「キャッシング・カードローン」などのサービス自体は、長い日本史を振り返っても、正しいことであるという結論です。

    17.キャッシングの歴史・参考文献&サイト

    キャッシング・カードローンの歴史をまとめるにあたって、下の書籍・ウェブサイトを参考にさせていただきました。中心となったのは、『金貸しの日本史』です。

    17-1.参考書籍

    • 水上宏明(2004)『金貸しの日本史』新潮社.
    • 富山和子(1993)『日本の米』中央公論社.
    • 宇治谷孟(1992)『続日本紀(上)全現代語訳』講談社.
    • 舎人親王撰、黑板勝美編(1932)『日本書紀 下巻』岩波書店.
    • 藤沢久美・片野佐保・真水美佳・川島直子(2008)『理解されないビジネスモデル 消費者金融』時事通信出版局.
    • 岩田昭男(1996)『消費者金融 大躍進の秘密』ダイヤモンド社.
    • 高島望(1997)『武富士流 金儲けの極意』ポケットブック.

    17-2.ウェブサイト

    • 渋谷隆一(1981年)『私営質屋の展開と政策対応』国連大学
      http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/english/society/wp_unu_jpn53.html
    • Wikipedia『岡定俊』
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%AE%9A%E4%BF%8A
    • Wikipedia『出挙』
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E6%8C%99
    • 池田雄二の夢旅日記(流Ikepedia)
      http://blogs.yahoo.co.jp/yikeda31
      ↑(個人ブログですが、膨大な古代の資料を掲載されている、良質なブログさんです)

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