キャッシングの歴史

アコムの歴史 ~創業・サラリーマン金融の開拓・無人契約機の革命~

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アコムの歴史を、特に創業時を中心にまとめます。日本の消費者金融・キャッシング業の歴史として、参考にしてみてください。

*参考資料(1)…『理解されないビジネスモデル 消費者金融』(藤沢久美・片野佐保・真水美佳・川島直子/時事通信出版局/2008年)P.9~P.13

*参考資料(2)…アコム公式サイト『アコムの歴史』http://www.acom.co.jp/recruit/graduates/company/history.html

創業は1936年「丸糸呉服店」から始まる

アコムの歴史は古く、最初は1936年(昭和11年)創業の「丸糸呉服店」から始まります。最初は呉服店でしたが、それが「丸糸」という質屋になり、やがてアコムになります。年表を簡単にまとめると―。

  • 1936年…丸糸呉服店
  • 1948年…質屋に業容転換(丸糸株式会社に)
  • 1960年…神戸元町の店舗で、「サラリーマン金融」を試験的に開始
  • 1961年…「サラリーマン金融」専門の店舗を開設
  • 1964年…米国の消費者金融を視察。店名を「サラリーマン・クレジット・ローン」に変更
  • 1966年…「サラリーローン」に変更(1ヶ月分の給料=サラリーを融資する、という意味)
  • 1967年…東京1号店を八重洲にオープン
  • 1968年…オフラインコンピューターを、各店舗に導入
  • 1973年…「現金自動貸付機」(CD)を、消費者金融業界で初めて導入
  • 1974年…本社と各支店を結ぶ「第一次オンラインシステム」を稼働
  • 1978年…「アコム株式会社」設立
  • 1979年…ATMの設置を開始(入出金両方に対応、年中無休・24時間&年中無休稼働)
  • 1993年…業界初の自動契約機「むじんくん」を開発、株式店頭公開
  • 1994年…東証二部上場
  • 1996年…東証一部上場、タイ・インドネシアに進出
  • 2004年…三菱UFJフィナンシャル・グループと資本提携

…というのが年表です。以下、創業時のアコムがどういう風にビジネスを広げていったのかなど、当時の日本の背景も含めて説明します。

なぜ呉服店から質屋になったのか?

理由は主に下の3つです。

  • 1.戦後は質屋が隆盛した
  • 2.呉服業は、戦時中の「奢侈禁止令」で、廃業せざるを得なかった
  • 3.呉服と質屋は、もともと性質が似ていた

「2.」は説明しなくてもいいでしょう。1.と3.を説明します。

1.戦後は質屋が隆盛した

戦後は空前の「物不足」でした。

  • 1.物が不足
  • 2.物の価値が高い
  • 3.お客さんから預かった品物が、高く売れる

…ということです。そのため―。

  • 質屋は利益を出しやすかったし
  • お客さんも積極的に質屋に物を入れにきた
  • ↑(換金性が高いので)

…ということですね。それで、アコム以外でもこの時期「質屋業を始めた」という業者は多かったのです。

3.呉服と質屋は、もともと性質が似ていた

呉服というのは、当然「高い買い物」です。そのため、買いに来た母娘が「これいい!」と思っても、その場で即決できるものではありません。「持ち帰って、主人と一度相談したいです」となるわけですね。

で、それでその呉服をお客さんに一日預けるわけですが、「お客さんがそのまま着物を持って逃げる」という可能性もあるのです(戦後なので、現代より遥かにそのリスクが高いです)。

しかし、そこであえてお客さんを「信用」して、財産価値のあるその着物を一日貸す。この「信用によって成り立つ」という部分は、質屋や貸金業と、共通するんですね。

(知っている人も多いでしょうが、クレジットというのは英語で「信用」という意味です)

質屋から消費者金融への転換

アコム(丸糸)が質屋から消費者金融に転換したのは、下のような理由です。

  • 1950年代中盤から、物の価値が低下した
  • 質屋業が儲からなくなった(廃業も相次いだ)
  • 同時に「勤め人信用貸し」(後のサラリーマン金融)というビジネスが広まり始めた

ということです。機を見るに敏だった当時の社長は、早速このビジネスの調査に乗り出します。丸糸は「神戸」にあったのですが、神戸は当時「勤め人信用貸し」が日本でも特に広まっていて、講習会や研究会もよく開催されていました。

で、アコムは金融部門の担当者を派遣し、その内容を調べて驚きます。というのは―。

  • 「物」ではなく、人間の「信用」に対して融資する(当時は画期的だった)
  • 保証人1人で、白紙委任状なども無しで、即融資する
  • 融資の金額が大きい。質屋は平均「5000円」だったが、信用貸しは「2万円」
  • 質屋は「家族労働・住み込み労働」が多かったが、信用貸しは現代的な営業をできる
  • ↑(土日休み・所定の営業時間だけ、など)

今になってはこれらは当たり前のことですが、当時の質屋業の人々にとっては、画期的だったんですね。で、アコムの当時の社長も、このビジネスに大きな可能性を感じ、早速手がけ始めたわけです。

1960年、試験的に1店舗でスタート

アコムは1960年3月、持っている質屋の一店舗(神戸元町店)で、試験的に「サラリーマン金融」を始めます。人気は上場で、返済の遅れもほとんどありませんでした。

これを見て、翌1961年には「サラリーマン金融専門」の店舗を、独立させて開店。さらに大阪梅田・淀屋橋などに進出していきます。

梅田や淀屋橋に進出した理由は、このエリアには大阪の大企業や銀行などが集結していて、収入が高いサラリーマンが多かったため。今では「お金がない人が借りる」というイメージが強い消費者金融ですが、当時は「エリートのための、資金調達手段」だったんですね。

当時のアコムの融資条件

当時のアコムの融資条件は、下の通りです。

  • 職業…公務員か、有名企業の社員
  • 勤続年数…2年以上
  • 必要書類…健康保険証・身分証明書・給与明細
  • 保証人…必要
  • 返済回数…3回・5回・10回
  • 実質年率…102%

金利の高さに驚くかも知れません。(現在のアコムは「18%」なので)しかし―。

  • 当時はこれが普通だった(もちろん合法)
  • 返済期間が短い(3ヶ月~10ヶ月という短期)
  • 有名企業の社員など、ハイレベルな属性の人に限定している

…ということで、この金利でも何ら問題なかったんですね。また、当時は、池田勇人内閣の「所得倍増計画」が出された頃で、「給料は右肩上がり」「持っている自宅などの価値も右肩上がり」という、希望に満ち溢れた時代でした。そのため、この金利でもエリート層は何の不安も感じなかったわけです。(事実、貸し倒れもほとんどありませんでした)

当時のアコムの店舗は「お客さまが行列をつくるほどの盛況ぶり」だったそうです。

アメリカの消費者金融を視察し、店名を変える

後にアコムの社長となる木下恭輔氏は、この頃は繊維関連部門で「レディースファッション」を担当していました(アコムは金融業だけでなく、繊維業などもいろいろ手がけていたのです)。

で、そのファッションの視察ついでに、アメリカの消費者金融事業についても、1964年に視察してきます。そこでわかったことは―。

  • アメリカでは、消費者金融はすでに一般的になっている
  • 「ローンズ(Loans)」という看板を出して、営業している
  • 質屋は、資産家を相手にする「宝石などの保管ビジネス」になっている

…ということでした。この「ローンズ」にヒントを得て、アコムの店名も「サラリーマン・クレジット・ローン」と変わります(1964年)。そして、さらに2年後の1966年には「1ヶ月分の給料を融資する」という意味で、「サラリーローン」という店名になりました。

なぜサラリーマン金融は、利用者に受けたのか?

サラリーマン金融が「行列を作るほど」利用者に受けた理由は「質草を抱えて、お金を借りなくていい」ということ。当時は「お金を借りる時は質屋」が主流でしたが、その場合「質草を持って、質屋に入る姿を人に見られる」という恥ずかしさがあったのです。

今、アコムやプロミスなどの自動契約機・店舗に入るだけでも、結構恥ずかしいでしょう。しかし、当時の場合それが「質屋」だったので「質草を抱えて入る」という、さらに恥ずかしい姿だったわけですね。「あ、あの人お金を借りに行くんだな」というのが、すぐにわかってしまったのです。

ということで、それもなく「手ぶらで、書類1つでお金を借りられる」というサラリーマン金融のスタイルは、「洗練されたもの」として写ったのです。

後に多重債務の問題などが頻発してから、イメージが悪くなりましたが、当時のサラリーマン金融はむしろ「モダン」なサービスの1つだったんですね。


以上、主に創業時のアコムの歴史をまとめました。キャッシング・カードローンの歴史の一部として、参考にしていただけたら幸いです。

(ちなみに、参考文献の『理解されないビジネスモデル 消費者金融』は、レイクやプロミスなどの歴史もわかるので、キャッシングの歴史に興味がある人には、ぜひ一読していただきたいです)

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